広島カープの捕手を務める坂倉将吾選手。
2024年のWBCSにも捕手として抜擢されています。
今回はそんな坂倉将吾選手の父親、母親がどんな人なのか、家族のエピソード、恩師の小倉監督についても調査しました。
坂倉将吾選手のプロフィール
- 名前:坂倉将吾(さかくらしょうご)
- 生年月日:1998年5月29日
- 年齢:26歳(2024年)
- 出身地:千葉県印旛郡(いんばぐん)酒々井町(しすいまち)
- ポジション:捕手
- 投打:右投左打
出身地の酒々井町は千葉県の北部中央に位置しています。
緑豊かな自然環境に恵まれつつも、江戸時代には宿場町として栄えていた名残で交通アクスにすぐれた町です。
この町で4人家族として暮らしていました。
【画像】坂倉将吾選手の父親・母親はどんな人?
坂倉家の家族構成は以下の通り。
- 父:坂倉剛さん
- 母:坂倉朋子さん
- 長女:不明
- 長男:坂倉将吾選手
2019年6月にローカル番組として放送された「鯉のはなシアター」にご両親が出演されていました。
父・剛さんは個人的に「なにかスポーツの監督をやっていそう」という印象を受けました。
坂倉将吾選手が野球に興味を持ったキッカケが、父とのキャッチボールだということなので、お父さまもなにかスポーツをやっているのではないでしょうか。
母・朋子さんも清潔感のあるキレイな方ですね。
残念ながらお姉さんの画像はないのですが、お姉さんの息子、つまり坂倉選手の甥っ子さんの画像がコチラ↓
2023年の年末の時点で生後10ヶ月。
25歳のおじさんに抱かれてちょっと不安そう。
結構甥っ子にデレデレの坂倉選手。
かわいいですもんねー。
甥っ子に試合でかっこいいところを見せなきゃいけませんね!
坂倉将吾選手の家族エピソード紹介!
小学1年生から本格的に野球を始めた坂倉選手。
小学生時代は「酒々井ビックアローズ」で、中学時代は千葉県の強豪「八千代中央リトルシニア」で野球三昧。
プラス、中学時代は実宅の庭での素振り500回という日課を欠かしたことはなかったそう。
父・剛さんいわく
- 野球に対しては負けず嫌い
- この球が打てなかった、ここがダメだったと技術的にことを一生懸命にやっていた
- 何かを掴めるまで妥協しなかった
常に真剣で一生懸命な坂倉選手もスゴイのですが、それを知っているお父さんもしっかり息子のことを見ていたってことですよね。
母・朋子さんは
小学校の卒業文集に「プロ野球選手になる」と書いてあって、その時は単純に子どもの将来の夢という感じだったと思うけど、続けていくうちに「プロに行きたい」という思いが強くなっていったと思う。
真剣に野球に向き合う息子を、お母さんもまたしっかり見つめていました。
そんなお母さんに坂倉選手が送ったポストがコチラ↓
今日は母の日。
— 坂倉 将吾 (@Ir3Tm) May 14, 2017
試合の結果でプレゼントといきたかったですが、試合がなくて残念😂
親に言葉で伝えるってまだ慣れなくて上手く言えないけど、感謝は一番してます!!
とにかく長生きしてほしいです。
ありがとう!!母さん。
二十歳そこそこの時に、こんなにハッキリ親に感謝を言えるなんて!
なんていい息子さんなんだろうって思いますよね。
きっと食事関係や、野球チームへの送迎などを主にお母さんがやっていたのでは…と想像します。
お父さんにはXのポストでの感謝の言葉はまだないそうですが、インタビューではこう答えていますよ。
本当にいろんな人にお世話になっているが、一番は親だと思う。
男の子は父親に直接は言いにくいんでしょうか。w
坂倉将吾選手の恩師は日大三高の小倉監督
中学3年生の頃には30校を超える野球強豪高校からの勧誘があったそうです。
すでに「プロ入り」を強く意識していた坂倉選手。
ここでの進学先はプロ野球選手を目指す者にとってはとても慎重になるところでしょう。
しかし選んだ日本大学第三高等学校(日大三高)は直接プロ入りした選手がほとんどいない高校でした。
高校卒業→プロ入りを目指していたのになぜなんでしょう?
- 学校の名前で選ぶのはなんかちょっと違うと思った
- 大事なのは進学した高校で自分が何をやるかだと考えていた
15歳の坂倉少年はこう答えていました。
大人ですね。中学3年生の言葉とは思えません。
- 寮生活であること
- 練習環境が充実していたこと
- 日大三高の雰囲気が良く、小倉監督の元で野球がしたいと思った
この3つも日大三高を選んだ決め手だと語っていました。
日大三高は東京都町田市にあり、実家と同じ関東圏とはいえ通うのは長時間になってしまいます。
という理由で坂倉選手はあえて寮のある学校を選びました。
本当に志が高かったんですね。
晴れて日大三高に進学し、坂倉選手を我が子のように指導していたのが小倉全由(おぐらまさよし)監督です。
- 名前:小倉全由
- 旧姓:斉藤全由
- 生年月日:1957年4月10日
- 年齢:67歳(2024年)
- 出身地:千葉県長生郡一宮町
1981年に関東第一高校の監督として就任。
日大三高には1997年から就任しました。
2023年3月末に勇退するまでの実績として、甲子園の出場は春夏合わせて関東第一で4回、日大三高で18回、計22回にもなっています。
正に名将。
こういった実績も坂倉選手は考慮していたかもしれませんね。
一方小倉監督の方も坂倉選手には一目置いていました。
16年に広島に入団した坂倉将吾は、私にとって忘れられない選手の1人です。
SPAIAより
彼は千葉の八千代中央シニアで全国優勝を成し遂げ、三高の野球部に入部してきたのですが、その頃から、「将来はプロに行きたいです」と発言していました。
キャッチャーとして強肩で観察眼に優れ、キャッチングがうまく、ピッチャーのよさを引き出す配球にも目を見張るものがありました。
残念ながら板倉選手が在籍していた間に、日大三高が甲子園に出場することは叶いませんでした。
監督の目にはそのとき甲子園に出場していたどんなキャッチャーよりも坂倉の方が上だ、という想いもあって出場できなかったことについて申し訳無さを感じていたそう。
しかし坂倉選手は無事ドラフトを受け広島カープへ入団。
監督の目が正しかったということでしょう。
まとめ
キャンプ中、誰より多くの打撃練習をこなし、バットを振り込んだ坂倉将吾。最終日は軽めの調整。疲労はかなり溜まっているはず。日の丸を背負う正捕手。 pic.twitter.com/bPENwX8VPi
— YAMATO (@yamatoclimber) November 6, 2024
WBSCに出場する広島カープの坂倉将吾選手について、父親・母親とのエピソードや、高校時代の恩師・小倉監督について調査しました。
小学生のときからしっかりした考えを持ち、実践してきた坂倉選手。
それが出来てきたことへの父、母への感謝をいつも心に留めているのが素晴らしいですね。
高校時代にも良い出会いがあり、一層成長しています。
どんどんスケールアップしていく選手のようで目が離せませんね!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
コメント